CNCという機械がある。
コンピューターで設計した図面通りに、正確に加工するものである。
ステンドグラスのように、手加工であるがゆえ作風が一品一品違うというものではなく、写真と同じように加工可能な範囲においては正確なものが作成される。
それは工業製品である場合とそうでない場合があると私は思っている。

カメラの世界は私はそれほど詳しくはないが、一時凝ったことがある。かなり奥が深い。
写真展にいっても個性ある撮影写真が見られる。
それはカメラという機械をどう扱うかで、撮影者のセンスや技量・個性が出てくるのだろう。

CNCも非常に近いと思っている。
一般的ではない機械であるがために知らない方がほとんどだと思うが、設計段階での材料の吟味から加工手順や段取りなど、同じものを加工するにもいろいろある。
象嵌細工(インレイ)なども、凸面と凹面のクリアランスを0.08mmにするか、0.04mmにするかで出来映えも全く違う。また使う材質や部位によってクリアランスは違ってくる。
※クリアランスは小さいほど精巧に仕上がるが、きついと割れる可能性もある。大きいとその隙間は接着剤になり綺麗に仕上がらない。刃物の摩擦熱での材料膨張等も考慮しなければならない。
曲面、尖端部の処理など、使用刃物の直径以下の加工は不可能であり、それは作成者のセンスや経験によって出来上がるものは全然違ってくるのである。
ただ、カメラと大きく違うのは、チャンスを逃せられないということだろうか。
CNCはゆっくり時間をかけて検討しながら進められるから。
ただしそれが出来るからこそ、こだわりだしたら膨大な時間を費やしてしまうのである。

マルノコやテーブルソーなど、木材をきざむ機械は一般的に使われているが、昔はのこぎりやノミ、鉋などであっただろう。
ではテーブルソーを使って仕上げた木製品を機械加工品ですと言うだろうか。機械を使うことに間違いはないが。
どこからが手作りでどこからが機械作りなのか。工業製品なのか。

木取りから全てのこぎりや彫刻刀でスプーンなど木製品を作る人が機械で木製品を作る人に対し、『私は全て手作りだから違う、私のほうが価値があるのだ、彼らは楽をして見栄えだけ良くしている』と言う工芸作家と話をしたことがあるが、実につまらなかった。
それは否定するべきではなく、それぞれの長所短所をまっすぐ評価することで自分自身の作品もさらに進化できるのではないかと思う。
また、やはり手で加工する技術は、たとえ見えない部分であっても正当に評価するべきである。

例として。
真っ直ぐに溝を彫りたいと思いながら彫刻刀で掘り進んでも、それは完全な真っ直ぐにはならないだろう。
そこが手加工の味とも思うが、限りなく完全な真っ直ぐにしたかった部位だったとすれば、それは作成者にとってはまだまだの仕上がりのはず。
完全な真っ直ぐにしなければならない部分であれば機械を使い、手で仕上げたい部分は手で仕上げるのがベストなのではないだろうか。
当たり前のことだろうが、時間をかけるべき部分へ費やす労力の比率は、可能な限り上げるべきなのである。
一番魅せたい部分へかける時間は作品の出来栄えにそのまま伝わる。

話はそれたが。

CNCという機械であっても、加工不可能な部分は実は彫刻刀なのです。
上記にも述べた、『加工可能な範囲においての正確な加工』が出来る機械です。
機械に完璧はないのですよ。
機械には節のある場所や削るごとに変わる杢目など、わかるわけないのです。
ただ、仮に彫刻刀を使っていなくとも、CNCを使った手作りの作品ですと言う。
まぁ、大量生産すれば話は違ってくるとも思うが、私は一品単位の製作なので。


尚、これはあくまでも私の姿勢であり、人それぞれ考え方は違うと思います。
完成するまでのプロセスや苦労は製作者が次のステップに活かせばいい事であり、大切なのは作品が美しいと感じられるかどうかです。

ブランド名で満足するよりも、五感で素直に感じる事を、私は大切にしていきたいと思う。